ラグビーということ
ラグビーというスポーツはおよそ3Kのスポーツだと言われます。「くさい」「きたない」「きつい」。実際、泥臭いスポーツですし、そこが魅力と考える向きもありますし、良くも悪くも男臭いスポーツと言えるのではないでしょうか(高校時代は女性ラガーウーマンと対戦したこともありますが)。学生生活においては好感を持ってくれてるのはほんの一部で、「これだから、ラグビー部は」という評価が多かったように思います。しかしながら、社会に出ると、どうやらこの評価、一転します。特に目上の男性からの評価が。
これは全て先達のラガーマンの実績によるところが大きいのかと思いますが、社会に出てラグビーをしていた、しているというと、それは概ね好印象を以って受け入れられることが多いように思います。思うに、「中途半端にできないスポーツ」がラグビーで、それに伴う問題に直面したときの姿勢、というものが評価されているんじゃないでしょうか。勿論、ラグビーやってたなら酒が強いはず、とか副次的な評価もありますけど。
もちろん、ラグビーをする理由は社会人としての見返りを求めているからなわけではなく、単純にラグビーが好きだからなわけですが、こうしてフリーで仕事をしていてラグビーをやっているという話をすると、目上の方からもかまってもらえることが多いです。
ロザリウムの小林朋子氏にお聞きしたところによると、自分のプロフィールとして嗜むスポーツをラグビーと答えるのは、国際交流のシーンにおいても、良い答えの一つなんだそうです。こう言うとスポーツの種類に優劣をつけているようで非難を受けましょうが、例えばイギリスでは、サッカーは大衆のスポーツ、ラグビーは紳士のスポーツとして、ある種の棲み分けが与えられています(とは言え、世界で尤も盛んなスポーツはサッカーなわけで、ラグビーはマイナースポーツなわけですから、これくらいの世迷いごとは許されますよね)。
余談ですが、ロザリウムの生徒さんや関係者の方々に、「WEBサイトを作ったデザイナーはラガーマンなのよ」と言って、しばらく笑いをとっておられたそうです。意外性は男の武器ですから、このことは快く受け止めておこうと思います。
話がそれましたが、勿論、ラグビーをしていたことによって出会った人たちとの付き合いは一生物ですし、何物にも替え難く、これまでの人生でも助けられた経験が多々あり、僕の人生はラグビーを抜きには語れません。その上で、社会人になってから気付いたのが、ラグビーをしてなかった人とのコミュニケーションにおける、ラグビーをしてきたことへのステレオタイプが、自分が学生時代に思い描いていたものよりはるかに良い、ということなのです。
ここでもう一つ議論があります。それは自分が所属していたチームの分類についてです。分類なんていうと大袈裟に聞こえるかも知れませんが、ようは、「体育会」ではなく「サークル」であるということです。これには諸説あって、「クラブチーム」であるという人もいるし、「サークル」であるという人もいる。呼称はどうでもいいだろうとは思うのですが、ただ「サークル」という言葉には、何となく「甘えを許容する」誘惑がある気がしてなりません。
とりあえず、「体育会」ではないということは明確です。その上で、「サークル」であることの何が問題なのかと言えば、ラグビーチームとして自律していくためには、「サークル」という言葉には甘さがあるということです。そこは逆にステレオタイプ化しないで、サークルという言葉に括られても、自分たちは異色の存在なんだという気概があればそれで十分なのではないかと思いますが、残念ながら言い訳の材料に「サークルなんだから」という言葉を耳にすることがたまにあり、諸先輩の「サークルを名乗る」ことへの危惧は、こういうところで顕在化されるんだなと思ったことがあるのも事実です。
僕が個人的に「サークル」であることがとても良いなと思ったのは、これは僕が勝手に作ったフレーズですが、「他人に甘えて、自分に甘えず」ということを体現できる環境だ、というところです。「一切の甘えを許さない」環境というのは息苦しいですし苦痛です。仲間で楽しくやっていくのであれば、「他人に甘えて、自分に甘えず」くらいの力の抜け加減がちょうど良いように思うのですよね。
よくスポーツで勝利至上主義がいいのかどうかということが話題になると思います。楽しくラグビーをすることと勝つためのラグビーをするということが同義になればそれは理想的ですが、そうも上手くいきません。ただ思い起こせば一つ言えるのは、「ラグビーの本当の楽しさを後輩に伝えるためには、試合で勝たなければならない」ということです。試合で勝つことが目的ではない、しかし、後輩にラグビーの楽しさは伝えて引退したい、となると結果的に勝ち試合をチームメイトと味わいたいということになります。
中学時代のバスケットボール部のコーチがこんなことを言っていました。「上から受けた恩を上に返せると思うな、上から受けた恩は下に返せ」。これは僕の先輩と後輩という関係の考え方の根幹になっています。熱心に合宿に通ってくれた先輩だったり、怪我をした時に見舞いに来てくれた先輩だったり、そして勿論、グラウンドでチームを引っ張ってくれた先輩の姿が目に焼きついているのであれば、そこで受けた恩は下に返さないといけない。正直自分が現役の時にそこまでのことをできたかどうかと言えば、口惜しさばかりが残っているのですが、だからこそまだラグビーを続けているのかも知れません。
脈々と連なっていくこと。個人であれば思い出を残すことがせいぜいですが、人が集まればその集団の歴史を紡ぐことができます。流行り廃れはありますし、時間と共に風化していくこともありますが、それでもやはりそれは脈々と受け継がれてきたものの変化でありましょうし、だからこそ後輩を眺めるのは楽しいのです。
恩を受けるということはこの上なく幸せなことですし、恩を返すということもこの上なく幸せなことです。そんな幸せの掴み方を体感できるということが、実はラグビーをしているということの一番の価値かも知れません。




