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第三者的評価と準備コストと集合知

成長著しい米国のWeb 2.0サービスの中でも、diggは話題性が高いサービスです。diggはニュースアグリゲータと呼ばれるサービスで、ユーザがネットで見つけた記事を「digg」することで、話題性の高い記事が自ずと高いプライオリティが付けられ、玉石混交のネット上の情報リソースから、より重要で有益な情報を探し出せるという代物です。

日本ではあまりニュースアグリゲータが隆盛を見せていませんが、はてなブックマークはソーシャルブックマークという基盤でありつつも、徐々にニュースアグリゲータ的様相を呈してきているようです。但し、日本のネットユーザの中ではてなユーザというのは、比較的技術畑の人が多く、しばしば偏っている(ユーザが偏っていれば、当然どの記事が有益かという判断基準も偏っている)というきらいもあります。

日本ではむしろ検索数やアクセス数でプライオリティをつける、というのが現在は一般的なようです。Technorati瞬!ワードMixiのニュース機能もそれにあたります。

検索数やアクセス数によるプライオリティの付け方がPhase 1だとすると、「digg」のようなプライオリティの付け方はPhase 2にあたると思います。より人間の手によって篩い分けられた、言い方を変えればよりコストをかけたソートをしているからです。ここで言うソートというのがユーザの自由意志によってボランティアでなされているというのがCGMコンテンツの凄い所です。

こう言った第三者的な評価を下すメディアが今までの日本社会にはありませんでした。新聞やTVなどのマスメディアが世の主流を描き、女性週刊誌やワイドショーなどの二流メディアそれを煽るという構造で、しばしば情報はその公正さを失い、読み手の解釈によるところが大きかったと言えます。

しかし、インターネットの登場で、主流メディアはよりユーザの意見、ユーザ参加のメディアの意見に評価されるようになりました。インターネットの勃興期では2ちゃんねるが社会に対して影響力を持ち、現在はMixiなどのSNSで交換される情報が実社会においても影響力を持っています。

こういった第三者的評価は、何もニュース記事だけを対象にしたことではありません。価格.comAmazon楽天市場でのユーザレビューは購買意思の決定に大きく寄与していますし、ぐるナビLivedoorグルメでのユーザレビューを頼りに飲み会の店をセッティングする幹事さんも多いでしょう。

医療の世界ではセカンドオピニオンの必要性が謳われていますし、ビジネスにおいてもコンサルタントやコーチ、カウンセラーなどが重要視されています。状況を俯瞰し、個人が客観的な視野を確保するためにも、一歩引いた立場での第三者的評価(それほど親密でない誰かの評価)というのが、今後ますます重要になっていくでしょう。

これまでの社会では「リサーチ」ということに多大な労力とコストが割かれてきました。しかし、「誰かが調べて感銘を受けた」、「誰かが辿り着いて驚嘆した」、内容の濃いコンテンツが評価され共有されるようになれば、意思決定が迅速化され、より様々なアクションを軽妙に選択していくことができるようになると思います。

日本人は比較的、「準備すること」に楽しみを見出せる民族ではないかと思います。そして、様々な社会活動において、質の高いサービスや結果の伴うソリューションを得るために必要なのが、しっかり「準備をしておく」ことだと僕は考えます。「準備不足」はしばしばその人の人生に悪影響を及ぼします。そして、これからの社会は「準備にかかるコスト」が、どうやらこれまでよりも軽減されていくように見受けられます。

「誰かのために役に立つ」ということは言うに易く行うに難しいことでした。しかしこれまでのように多くの時間をボランティア活動に割かずとも、人が適切な行動を選択するための手助けをインターネットに参加することでできるようになってきています。これまで第三者的評価を得ること自体が多大なコストのかかる作業でしたが、インターネットというインフラと情報アグリゲータというサービスがよりそのことを手軽にしているのです。

勿論、精度の問題はあります。100人の素人より1人の専門家の意見の方が重要だという向きもあるかも知れません。しかし、1000人だったら?10000人だったら?どうでしょう。情報の質と数の論理は必ずしも正比例しないものですが、そもそも第三者的評価というものの意味が「偏りのないおしなべられた公正さ」にあるのだとすれば、1人1人のユーザの主観からなる集合知としての評価は、より第三者的と言えるかも知れません。よく「国民感情を逆撫でする」という表現がメディアで使われますが、そもそも「国民感情」などというものがこれまでの日本にあったのか、甚だ疑問です。

幸いなことにインターネットはTVのように12チャンネルという枠にプレイヤーが縛られているプラットフォームではありません(CATVとかもありますけどね)。ですから、集合知もまた細分化され、より自分の状況にあった第三者的評価をユーザは選び取ることができるようになります。そこから後は、個人の情報処理能力、インフォメーションリテラシー次第でしょう。

材料はたくさんあります。準備もたくさんできます。その上で何をするのか。「僕は材料を揃えました」、「僕は準備をしっかりしました」ではなく、「僕はこういうアクションを起こします」というところが問われる時代になってきたということでしょう。

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