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何でもできるというのは、何もできないのと同じこと

前回のエントリに続きまして懐かしの名言シリーズと参りましょう。学生時代に某広告代理店の方に言われたのが「何でもできるというのは、何もできないのと同じこと」ということ。確か「うちは便利屋ですから」みたいなことを言った時に苦言を呈された時の言葉だったと記憶しています。

いや無論、「便利屋」と言えるだけの力が僕の在籍していた会社にはあったと思いますし、それが小さな会社でも他と渡り合っていける強みだったと思います。それにしても、「何でもできるというのは、何もできないのと同じこと」と言われたのは、やはり「使う」側からして見れば「使い辛い会社」と映ったのでしょう。

たしかに、スポーツ、僕の好きなラグビーなどに置き換えて考えてみると、この言葉はしっくり来ます。15人のスポーツですから、各ポジションに役割分担があります。一芸に秀でていて、その役割に特化された能力を持っていれば、平均的に自分より巧いと評されるプレイヤーより出場機会に恵まれるということは多々あります。

もちろん、ボトムアップは必要で、何でもできるにこしたことはないですが、アピールの仕方として何でもできるということは、プロジェクト運営側の立場から考えれば、何もできない=役割を割り振れないということになるのでしょう。

ですから、今でも僕は色々なところに首を突っ込んで歩いていますが、「マルチタレント」というような評価をいただくと冷や汗をかきます。そう評されるということは、そのプロジェクトにおいて、自分の役割を未だ割り振られていない状態を意味するからです。企画でもいい、ライティングでもいい、デザインでもいい、プログラミングでもいい、何かそのプロジェクトにおいて活かせると思わしき部分を早くプロジェクトリーダーに見つけてもらわなくてはならないのです。

これは「強み」と「弱み」の議論とはまた少し違うように思います。自己分析で「強み」と「弱み」を引き出しても、それがイコール他者からの評価ではあり得ません。ですから、「色々なことができる」スペックは持っておいて、その上で状況に応じてプロジェクトに応じて自分の役回りが自ずと定まってくるようなプロジェクトリーダーへのアピール、というのが必要になってくるのだと思います。

ジェネラリストとスペシャリストという切り分けが一時期流行りましたね。しかし本来的にこの区分はあまり意味がないかも知れません。普通のジェネラリストよりもジェネラリストとしてスペックが上でかつスペシャリストとしても秀でている人はいますし、その逆も然り。もっと言えば、優秀なジェネラリストというのは、そこに到達する過程で一つ二つ自分の得意分野をスペシャリストとして築いた上でそう評されていますし、優秀なスペシャリストというのは、常にジェネラリストの視点を忘れないからこそその技が生きるのだと思います。

色々なことに興味を持って、色々なことにチャレンジして、色々なスペックを身に付けるのはとてもいいことだと思います。その上で、「何でもできる」ということを強みにしないで、「このプロジェクトだったら自分にはこういう役回りができる」ということを常に明示できることが必要になってくるのではないでしょうか。

実際「何でもできる」人なんてなかなかいませんが、色々触手を伸ばしていると、ともすれば、そういう評価がつく時があります。そういう時には自分の立ち回り方を少し分析して、「首は突っ込んだけど、役回りがもらえない、何もできない」というオチにならないよう考えて行動するというのが大事だと思うのです。

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