褒められて叱られて
世の中には褒められて伸びる人と叱られて伸びる人がいる、と言われますね。自分がどちらかというとなかなか難しい判断だと思うのですが、褒められることも叱られることもそれはすなわち「他者に評価される」というタイミングなわけですから、自然と自分の中に残っているもののように思います。
少し自分の記憶に刻まれている言葉を思い出しながら、褒められたこと叱られたこと、とは言え全て挙げるとキリがないですから、1つずつ書いてみたいと思います。
「異能の才を活かして欲しい」
某商社の面談で言われた言葉です。何かこうスゴク座学ができるとか、スゴク弁が立つという類の人間ではないですし、有名ゼミで立派なレポートを書いたとか体育会でガツガツスポーツに打ち込んでいたという実績もないので、こういうことを言われた時には身震いがしました。意図して人とは違うモノの考え方を面接を通じて見せていきたいと思って喋っていましたから、異能の才という評価を受けたことは、とても嬉しかった。このことを言ってくださった方とは、実は未だにご縁があり、半年に一度くらいお酒を飲みながら仕事の経過を報告させていただいています。「異能の才」と言われてキョトンとしていた僕に「伊能忠敬ではないよ☆」とおっしゃってくれた、とても茶目っ気のある方です。
「目の前に人が倒れていても素通りする人だ」
これはおそらく二度と同じことを言われてはいけない言葉として僕の心に刻まれています。実際、目の前に人が倒れていたら素通りはしませんが、そう言われたということは、仕事のお付き合いの中でそう感じさせる対応を僕がしてしまっていたということです。諸事情があり、僕も色々考えながら進めてきた仕事でしたが、最後の最後で「目の前に人が倒れていても素通りする人だ」と言われてしまったことは、そんな言葉好きで言う人はいないでしょうから、これまでへの憤慨とそれを言わなければいけないという決意の上で、僕におっしゃった言葉だったのでしょう。大変ショックだったし、同じ過ちは二度と繰り返さないようにしようと今でも思っています。ビジネスであるからこそ、言われてはいけない言葉。
褒められることにしろ、叱れることにしろ、それが意味を持つのは、自分の中に新しい視点を見出すことができるからです。なぜならば評価されるということは、体内に他者の視点が持ち込まれるということであるからです。「加藤君のデザインには体温がある」と言われた時は仕事を続けていて良かったと思いましたし、「子供の遊びじゃないんだよ!」と電話口に一喝された時は学生として仕事をしている自分の甘さをひた感じました。
ただそれで、調子に乗ったりしょぼくれたりするのではなくて、そういう強いメッセージを発してくれた人の視点を自分の内に取り入れて心に刻んでおくことが、「これから」のために重要な意味を持ってくるのであろうと思います。
個人で仕事をするということは、こう言った他者からの評価の繰り返しです。良いこともあれば悪いこともある。しかし、良きにせよ悪きにせよ、真剣なメッセージが自分に向けられて発された時は、真摯に受け止め自らの生きる糧となるよう心のうちに留めておくことが重要だと思います。
一人で悶々と考えていても引き出せないもの、他者からの一言で簡単に引き出されることはよくあることだと思います。




