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知を食う人々

知は食べ物とよく似ていると思います。食欲も知識欲も人の欲求であり、食べ物を摂ることも知識を得ることも、欲望を満たす行為に他なりません。人が最初に覚える欲望のコントロールというのは食欲のコントロールではないでしょうか。栄養のバランスよく、偏食にならないよう子供は育てられ、健康のために人は食欲を制御し、運動や労働で新陳代謝を促進する術を覚えます。

辛いもの、酸っぱいもの、甘いもの、しょっぱいもの、肉、魚、野菜、海草などなど、人間の体は様々なものを状況や気分に応じて欲します。同じものが続くと飽きますし、美味しく食べるために精一杯の努力をし、美味しく供されるものに敬意を払います。衣食住の中でも取り分け「食」は人間の生存の根幹であると思います。

ファーストフードだけでも高級レストランだけでも駄目で、たまに里帰りして家庭の食卓に舌鼓を打つ機会は大事ですし、誰かのために料理を作る経験も必要でしょう。バターこってりのフルコースを食べた次の日は、朝食抜いて昼もざる蕎麦なんて調整をするわけです。食欲そのものが健康状態のバロメータになっています。近年では、大手食品メーカーの相次ぐ不祥事や、LOHASブームなども手伝って、食育の必要性が声高に叫ばれ、食べ物を巡る人々の関心は強くなるばかりです。

こういったことを「知」に置き換えてみて考えてみてはどうですか?知の摂取にもバランスは重要ですし、知にも新陳代謝は必要です。同じことばかりを学んでいると飽きますし、より確かな知を手にするための探究心は衰えを知りません。勿論、知を提供してくれる人に我々は最大限の敬意を払うべきです。知識欲はすなわち向上心のバロメータであり、人は様々な知に触れながら日々生活をしています。

ただここに一つ反省があります。インターネットの到来に「知の摂取源」という意味において、我々はあまりにも無防備で臨んでしまい、飽食の時代ならぬ「飽知の時代」を迎え、食育ならぬ「知育」の重要性に気付かぬままに、知の「カウチポテト」状態に突入してしまっている気がしてなりません。

食べるということはある種儀式めいていて、そこにはマナーがあり作法があり、脈々と文化として受け継がれてきた「しきたり」があります。一方で知を摂取する、学ぶという行為においては、学ぶということの自由を尊重するがあまり、知と接する時の「躾」がおざなりになってしまっているのではないかという危惧があります。

「食わず嫌い」はないに越したことはなく、「偏食」もないに越したことはないわけですが、知ということにおいては、それが平然と罷り通っている世の中です。

そして何より大事なのは食事の時間を誰とシェアするかで全く違うものとなるように、知も誰とシェアするかで全く違うものとなり、そうした行為において人は始めて知に敬意を払い、知の価値を客観視でき、会話を通して知を物語化できるのだと思います。

僕の知人が最高のダイエット方法は「食事を良く噛むこと」だと言っていました。噛むことによって満腹中枢が刺激されるそうです。知も鵜呑みにするのではなく、良く咀嚼することによって深化され、消化も良くなります。

と思いつくままに食欲と知識欲の共通項を挙げてみました。繰り返しになりますが、食というのは人間が生命を維持するための活動の根幹です。であるからゆえにその行為は長い年月を経て研磨され洗練されています。そういったフレームワークを「知」に対して適応させることは、より充実した「知」との付き合いのために必要なことではないかと思うのです。

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