三題話
最近、本郷孔洋の100年企業への道標という会計士の本郷孔洋氏のブログを購読させていただいておるのですが、簡潔で読み易く理解が容易、ためになります。
このブログの特徴は本郷氏の親しみ易い文章もさることながら、3つの話題を1.2.3.というように項目立てて、1つのストーリーとして読ませているところにあり、無駄がなく毎日読み続けてもストレスがないところだと思います。
ふと、小学校時代の塾の国語の先生のことを思い出しました。僕は日能研(よく生徒に配られる鞄を「ガムテープカバン背負ってる」と友達に揶揄されて、塾の鞄を使いませんでしたが)に通っていて、特に小学校5、6年生の頃は非常に塾の勉強が面白かった記憶があります。
態度の悪い生徒をドアの前に直立させて、反省の色が窺えないと定規でしっぺを食らわす「悪人グラフ」の(今じゃ体罰って言われるのか)算数の先生とか、「他人の不幸は私の幸せ」と公言して憚らない(不道徳教師でしょうか)社会の先生とか、まあ色々な先生がいて、それぞれがそれなりに人気があり、よって授業に活気がありました。
僕が取り分けその後の人生で影響を受けたのは国語の下田先生とおっしゃったと思います。白髪のお爺さんで口調が柔らかく、いつもペイズリーのネクタイをしめてしゃきっとしているのが印象的でした。板書がそんな先生の人柄を表すかのように整然と凛々しい文字で書かれていたことを覚えています。その先生の授業の特徴だったのが、早く問題を解き終わった人だけが取り組める「三題話」。そう、まさしく先述の本郷氏のブログの形態です。
三題話というのは元々落語の世界の言葉で、客席から三つのお題をもらって落語家が作る小話のことなのだそうです。下田先生の授業では、先生が生徒に三つのお題を出し、それを元に早く解き終わった生徒が1つのストーリーに仕上げて、数人が授業の余興として発表するというものでした。
勿論、小学生ですから本郷氏のブログの記事のような前後の脈絡の必然性はなく、しばしばこじつけで繋げてとりとめもない話をするというようなことでしたが、僕は発表のために挙手することはなく、ただその3つを並べてどういうストーリーが紡げるのか独りで空想するのが好きでした。
小学校での作文は、どこかへ行った体験を書くとか、読んだ本の感想を書くとか、割と好き勝手書いていれば良いものでした。けれども三題話となるとそれは少し毛色が違って、時系列でなぞるだけでは足りない、ストーリーの論理性と、その上での面白みがなくてはいけないことになります。落語に端を発したことは知りませんでしたが、他の生徒に笑ってもらえない話をしてもしようがないわけで。
僕も何度か発表を試みたろうと思います。けれども、あまりその辺の記憶はありません。ただただノートに3つの題を書き並べ、それを眺めながら考え込んでいた若き日の楽しい記憶があります。ああいう時期があったからこそ、「書くことは表現する手段だ」ということを早いうちに体感できて、それが好きだということにも気付けたのだと思います。
そんな下田先生ですが、受験の本当に前夜になるでしょうか、急逝されたことを告げられました。以前から体調を崩したりして、生徒に笑いながら手術痕を見せたりしてましたから、良くないことだけは何となくわかってましたが、そのあまりの急な、日々接してきた人の死に愕然としました。考えてみれば僕が身近な人の死を告げられた初めての瞬間でした。
敬愛する先生が亡くなったこと、その先生のためにもこれから頑張らなければいけないんだということを塾長に告げられ、黙祷をしました。大人の冷めた視線で見るとつまらない話に聞こえるかも知れませんが、あまり受験するということのリアリティを直前まで感じられなかった僕も、初めて弔い合戦に臨むような心境に至り、モチベーションが奮起したことを覚えています。受験がうまくいったのは、あの先生によるところが大きいのかも知れません。
塾より学校が軽んじられていてけしからんという議論があります。僕はそういう問題ではないと思っています。子供の立場からすれば、教えることにどれだけ真面目な人に出会えるかということの方が大事で、それは塾であろうが学校であろうが教師ということに違いはなく、そして教師が教えることにどれだけ真面目に向き合っているかということは、教師それぞれの問題でその所属にはよらないと思います。
下田先生は「書く」という僕の人生の道標の一つを提示してくれた人の一人です。
教えるということは人と人との関わりなわけですから、マニュアル通りにはいきませんし、良い教師に出会えるかどうかはそれこそ「縁」ですからシステムで論じることはできません。確率論で論じることはできるのかも知れませんが、多くの人は教師を選り好みできる環境にないでしょう。僕は塾の先生にもこういう思い入れがあり、一方で小学校の先生にも本当にお世話になったところがあり、実は今でも小学校の先生と年賀状のやり取りをしています。この年になってようやく「仰げば尊し」の意味を察し、こうして言葉にできるのは少し遅いのかも知れませんが。
メディアの報道を聞いていると、学校の先生も社会保険庁の官僚も、あまり変わりがないような印象を受けます。ただ少年期、青年期に受ける教育ということは個人にとっても社会にとっても非常に大きな意味があります。僕はこれから教育がどうならなければいけないかということに対して論じる言葉を持ちませんし、教育再生会議で話されているようなことも素直にうなずけない部分が多いですが、少なくとも僕はとても恵まれた教えを受けてきたな、と今になって改めて感じます。




