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保健体育という学問

小さい頃どの科目の成績が気になっていたかと言うと、とりあえず保健体育でした。まあ元々運動神経はそれなりで、運動自体も好きでしたから、悪い成績は余程のことがないととりゃしないのですが、ちょっとびくびくしてました。なぜって我が母は元保健体育教師。

勿論、別に保健体育は必ずAを取れと強要されたとか、そういうことは全くなく、むしろ親から運動やれとか無理強いされたこともなく、ただ子供の頃から親が都大会や全国大会で取った数々のメダルを見る機会があったり、地元の町内対抗運動会で母親が数人抜き去って爆走する姿を見て育ったので、とりあえず「それなり」の成績を取っておかないと何だか親に申し訳ないような気持ちも幼いながらに持っていたのは確かなわけでして。

ただ今はどうだか知りませんが、元学校の先生というと頭の良い親御さんなんですねってリアクションが返ってくるのですが、ことに元保健体育の先生だということになるとリアクションが微妙というか、ああ「保健体育か」という何と言うかこう蔑視のような違和感を子供の僕が大人から感じ取っていたのも確かでして。

社会学的には保健体育の教師と言うと見事にステレオタイプにはめられているみたいでして、竹刀持って粗野で乱暴なジャージ姿のおじさんしか思い浮かべないような人は今日日いないかも知れませんが、なんかそれでも先生の中でも隔離されているというか、頭脳労働と肉体労働で境界線を引かれちゃってる感じがしますね。

当たり前の話ですが、それなりにいい大学に勉強して入って、教員免許の試験も受かって、論文書く時には研究室に泊り込みで、その上競技も本ちゃんでやってたわけなので、僕のように体たらくな大学生活を送っていた人間から見ればよっぽどスゴイという印象なのですけど。

実際、保健体育ってのは自分の体と向き合う付き合うことを教える唯一の初等教育なので、大いに実学であるというか、ある意味、一番「生きてく力になる」科目であるようにも思うのですけどね。世の中と言うのはなかなかに世知辛いもので、必ずしもそういう評価でないような気もします。

たまたまMixiで現役保健体育教師の方からメッセージをいただきましたので、ふと考えてしまいました。別に数十年前に教職を退いた親の立場の擁護をここでしてもしょうがないのであれですが、個人的には「保健体育」という科目が僕にとって小さい時に「気になる科目」であったことは、今になってみれば非常に良いことだったと振り返っています。

僕も中学受験なんぞをした手前、受験勉強が重要なのはわかっているつもりなのですが、今の子供達にとって保健体育ってどういう位置付けなんですかね。ちょっと気になりました。

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