地球と倫理
Al Gore氏と国連の「気候変動に関する政府間パネル」がノーベル平和賞を受賞しました。僕の本棚にですら『不都合な真実』が置いてあるくらいですから、そういう時代なのでしょう。企業でも環境問題への取り組みは今や必須ですし、大手メーカーなどは仕切りにエコCMを打っていますね。アメリカは京都議定書にサインしない、エコ規制に対して後ろ向きな国という印象がありましたが、今アメリカ議会や経済界では様々な方針、規制、ルールが作られていて、大統領こそ積極的な印象を受けませんが、一般レベルではEUに比するくらい、やはりエコ熱は盛り上がりを見せているようです。
15日は世界的にBlog Action Dayでテーマは「Environment」。ちょっと環境ということを考えるのになかなか良いタイミングではないかと思って、この記事を書き始めています。
「地球と倫理」などと大層なタイトルをつけてしまいました。「倫理」というと何だか肩肘張った言葉のような気もしますが、政治、経済、教育の様々なシチュエーションにおける問題というのは結局のところこの「倫理」ということに帰結するように思います。倫理がないがしろにされて来たから、政治と金の問題やら、食品の偽装の問題やら、裏サイトなる陰湿ないじめが起きていたりするのではないかと。
いつぞや「金さえあれば何でもできる」と豪語したIT長者が一世を風靡しましたが、実際は法律すれすれのことをやっている。政治や経済にはグレーゾーンが多いと言いますが、実際は倫理的に間違っていることは糾弾されますし、ばれなきゃ大丈夫と思っていてもばれた時のしっぺ返しはとてつもなく大きい。雪印、不二家、白い恋人、ミートホープ、赤福、これらは氷山の一角かも知れませんが、業界の慣習としてOKだからと言って、間違ったことを放置していることのリスクというのはとてつもなく大きいのです。だからコンプライアンスなんて言葉が流行り言葉になっているわけで。
「綺麗言で仕事はできない」なんて言葉はよく聞きます。しかし、いざ問題が発覚した時には大抵の人ないし部署ないし企業は責任能力を発揮し得ません。いい加減なことをやっていると、とんでもないペナルティが科せられます。そういう傾向は今後ますます顕著になるはずです。「綺麗に仕事ができない人には、仕事を任せられない」と考えたくもなります。
最近ちょっと気になるのが、携帯電話による学校の裏サイト、というやつです。実際のサイトを見たことはないですし、自分が中高生の時にはそんなものはありませんでしたが、報道などによるとかなり陰湿ないじめの温床になっているようです。まだ独身の僕ですが、仮に自分が結婚し、子供が生まれ、学校の裏サイトでいじめの対象になっている、というシチュエーションを想定すると、どうしていいのかなかなか解決策が見えません。対処療法ではどうにもならないでしょう。匿名の集団に影ながら揶揄されて、いじめてるのが誰かも実際にはわからないというのは、思春期の子供たちにとっては何とも耐え難いもののように感じます。
『踊る大捜査線』の再放送を見ていましたら、「人が作った法律は平気で破るが、自分だけの法律は絶対にやぶらない」というようなフレーズが出てきました。まあ、「人が作った法律は平気で破る」っていうのはまあ問題なのですが、ただ「自分だけの法律は絶対に破らない」ってのは大事で、ただこれは独善的なことではなくて、社会との関係性、社会における役割において自分はどうあるべきかという「倫理」を絶対にやぶらないのが大事であるということなのかと思いました。
ただ倫理というのは不文律ですから、磨耗するでしょうし経年劣化するのだと思います。ですから常に啓発を外部からされていなければなりません。角界の一連の問題も、「特殊で守られてる」環境に長い間甘んじていたことが、今回のような騒動に発展し、また対応も対策も杜撰になってしまったのではないかと思います。
倫理について書いて来ましたが、Al Gore氏が『不都合な真実』で提起しているのは、とどのつまり「地球という対象に対して倫理観を持とう」ということなのではないかと思います。これはなかなか壮大で難儀なことのようにも感じます。ただそういうところまで人間の想像力が到達しないと、取り返しがつかないことになるよ、ということを『不都合な真実』は示唆しているのだと思います。
ニュース番組でコメンテーターがこんなことを言っていました。「地球は絶滅するか?いや絶滅するのは人間や動物で、地球は生き続ける、恐竜が絶滅しても、地球は生き延びたように」というようなことを言っていました。何となく僕もそんな気がします。
真っ当に生き続ける為には、個人という単位でも、企業という単位でも、人類という単位でも、守らなければいけない倫理があるはずなのです。活動範囲が広がれば広がるほど、そういう「倫理」に対する想像力を働かせていかなければなりません。




