抽象と具体
僕はどうにも抽象的な議論、というのが苦手でして、お頭が足りないのか、冷めちゃうのか、定かではないのですが、「例えば」がイメージできない話、実情にブレイクダウンし辛い話は「ちょっとついていけないな」と思ってしまう節があります。いやさ、抽象的なトピックというのは重要だと思います。でも抽象的な空気に置かれると、一刻も早く脱出したい、と思ってしまう方です。
例えば2人で会話している時、これはまさしく対話なわけですが、対話なのに演説を始めてしまう人がたまにいる。押し出しが強いのは良いことなのですが、しばしばその論旨に賛同し得ない時に「僕はどうすればいいんだろう」、更には「この人は僕をどうしたいんだろう」と無限?スパイラルに突入してしまうことがあります。
これはあくまで僕の個人的な見解ですが、抽象的な話をする時は、話し相手が具体的なアクションプランを描けるように、示唆的でなければいけないと思っています。抽象的な言葉の投げあいというのは、言葉が上滑りしているだけで、議論が深まっていることにならないと思うのです。議論が深まるということは、双方がこれから自分が取るべき道筋、新たな目標達成までの段取りを思い浮かべることができるようになることだと思います。
概念は明確に定義されなければいけない。そもそもが抽象的な概念を抽象的な言葉で装飾すると、それはもう得体の知れない混沌に成ってしまって、仮にそこで何となく話が落ち着いたようであっても、後日それが共通理解になっているかというと、実際に行動に移す段階で齟齬が発生してくるということになると思います。
僕が尊敬する目上の方々に共通するのは「雰囲気で話さない」というところがあると思います。同年代で話していると、しばしば「雰囲気で話している」という事態が発生します。酒の席ではそういうのも楽しいですけどね。ただそれって「実体のない話」のように思います。多分、「雰囲気で話さない」人というのは、「話の審美眼」みたいなものを持っておられるのだと思います。ですから、曖昧な言葉を並べてしまうと「突っ込み」が入る。
抽象的な事柄というのは、具体的な事柄を整理するためにあるもので、具体性のない抽象性というのは本来成立し得ないと思うのですよね。だから抽象的なことだけで帰結する話、というのは随分荒唐無稽なように思うのです。
散々抽象的ということを否定しておいて、この記事自体が非常に抽象的な話になってしまいましたが、この話がどなたかの具体的なアクションプランに対して示唆的であったなら幸いです。




