グーテンベルグ以来の大発明
高校時代の恩師と会食する機会がありまして、その方はニューヨークで生徒を持った時に「英語教育におけるプレゼンテーションのあり方」に非常に影響を受け、現在パワーポイントやロールプレイや映像など、様々なプレゼンテーション手法を高校の国語教育に取り入れようという試みを続けておられるそうです。加えて大学の教職課程でそう言った国語教育における新しい取り組みの講義を持っておられるのだと。
日本のこれまでの教育の特色を考えるに、やはり圧倒的に「対教師」の成果物を求められることが多かったように思います。そういう意味では海外のプレゼンテーションを多用したカリキュラムは進んでいて、教師だけを納得されればそれで及第点ということにはならず、「誰にでも」とか「クラスの皆が」などの視点が加わるので、より平易でわかりやすく説得性に重きを置いた論理構築ができるようになるのだと思います。
新しいメディアが出てくると、「グーテンベルグ以来の大発明」というフレーズが踊ることがあります。これはMarshall McLuhanが『メディア論』や『グーテンベルグの銀河系』などで、メディアの基点をグーテンベルグの活版印刷の発明に置いているがゆえかと思うのですが、近年ではブログが流行してきた頃にNewsweek誌が「ブログはグーテンベルグ以来の大発明」と書きましたし、AmazonのKindleという電子ブックリーダ(及び電子書籍購入のプラットフォーム)が登場した際に「Kindleはグーテンベルグ以来の大発明か?」という記事を至るところで見ました。
ちょっとMcLuhanの解釈とは違いますが(僕はメディア論者じゃないですし)グーテンベルグの何が偉業かと言えば、「技術がプラットフォームを作り人類に新たな慣習を与えた」というところにあるのではないかと思っています。つまり「活版印刷が書籍が流通することを可能にし人類が本を日常的に読むことを覚えた」ということです。これには勿論、聖書というキラーコンテンツがヨーロッパ社会にあったということも大きく寄与していると思いますが、その後、大衆小説から学術書までが多種多様な形で世の中に行き渡り、それに伴い人類のリテラシーを引き上げたことを考えると、その功績は非常に大きいと思います。
こう言った図式に当てはまるのはKindleではなくブログなのです。Kindleは書籍というコンテンツの流通を激変させる可能性を持っていますが、しかしながらそれは人類を次のフェーズに導くほどのことかというと、それほどのものではないと思います。確かに書籍のデータが検索でき格納されることは便利かもしれませんが、それで人類の進歩があるかと言うとそこまでのインパクトではない。逆を言うと、僕はブログというものは長い目で見ると「人類の進歩」に寄与する発明と後に認められるものになるのではないかと感じます。
ブログは言わば簡易なコンテンツマネージメントシステムで、もっと簡単に言うとインターネット上に簡単に日記を書けるよ、というものだと思います。ただ、そうした不特定多数が読むことを前提に、個人が言わばPublic Announcementとして文章を書く機会というのはこれまでにほとんどなく、また一定量の文章を定期的に書いてたくさんの人に読んでもらうという慣習も新しいもので、これまではいわゆる「メディア」と呼ばれるもの属す人にしか許されない権利であり自由であったのだと思います。
広く一般大衆が「書を読める」ようになってから「書を書ける」ようになるまで、実におよそ560年ほどの月日を要したことは逆に驚くべきことですが、このパラダイムシフトは「グーテンベルグ以来の大発明」と言って余りあるものだと信じています。
最初に挙げた国語教育だって、もうこの勢いを無視できないだろうと思います。色々な意味でブログは人類の慣習を変えたと思いますし、これからも変えていくのではないかと思っています。




