自分の立場を守る仕事と自分の誇りを守る仕事
世に言う保身ということがあります。社会というものは人間の集合体ですので、その関係性において自分の身を守ることは大切ですね。ただ、保身という言葉の持つ意味合いというのはもう少し小汚いというか、自己防衛に動いて損得勘定ばかりして他者がどうなろうと知ったことじゃない、というようなスタンスのことのように思います。
組織の中で仕事をしていると、というか仕事をしていると(誰との関わりもない仕事なぞ有り得ないので)、しばしば「自分の立場を守る仕事」をしているな、と感じられる局面に出くわしたりします。往々にしてそういう意識というのは、自覚がなくとも、対面している誰かには伝わってしまうものです。
ここで保身合戦が始まってしまうと、完全に政治になってしまいます。
最近、ラグビーの社会人リーグの幹事会にお邪魔させていただいておるのですが、そこに出席されているさる方からのメールの署名には、必ずこんな一文が入っています。
Others 1st, self last.
こういう思想って非常に大事だと思うのですよね。
さて「自分の誇りを守る仕事」についてですが、これって実は「自分の立場を守る仕事」ということと紙一重なのではないかと思います。人間誰しもポリシーとかプライドとか言うものはあると思いますし、それって非常に大事なことです。しかし、それが自己正当化の理由になるのはよろしくない。そういうのをきっとエゴって言うのだと思います。
「Others 1st, self last.」の思想に則るならば、「自分の立場」や「自分の誇り」の前に、「誰かの立場」や「誰かの誇り」を尊重するべきであって、それは僕であればお客さんや協力会社だし、会社員であればそれに加えて上司や部下や同僚でしょう。
仕事を生業として営む以上、関わる人々をハッピーにしたい、と思うのが自然でしょう。誰かを不幸せにすることで、自分が幸せになる、というようには人間という生き物はできていないと思います。でも本当にそういう風に人間動けるか、仕事を進められるかというと、これが意外と難しい。
別に自己犠牲が潔いと言ってるわけじゃありません。ただ、「自分の与えられた仕事」だけにしか目が行かない仕事のやり方では、自分の立場や自分の誇りばかりに目が行って、限界は知れているということです。
ありきたりな言葉ですが、「思い遣り」というのは「他者への想像力」です。そういうものを発揮しながら仕事をしないと、他の人をハッピーにすることはできないし、従って自分もハッピーになることはできないと思います。
自分の立場も自分の誇りも、全うに仕事をしていれば、本来的には自ずと守れるものだと思います。そうでないなら、何かが間違っているのです。




