20%の我慢が必要になる時代
20%というのは全く根拠のない数字なのですが、地球環境、物価の高騰、資源の枯渇、安全性や品質管理にコンプライアンスやCSRなどなど、今の世の中って言うのは経済合理性だけで成り立たない世界になろうとしているように見えます。
よくあることですが、受託開発をしていると、時として我慢をせざるを得ないことがあります。ただこれは人付き合いベースなのがビジネスですから、至極当然の帰結であるとも言えます。それは費用的なことだったり、時間的なことだったり、精神的なことだったり、肉体的なことだったりします。
何となく我慢ができるというのは日本人の美徳の一つのような気がします。勿論、我慢してればいいと言うわけではありません。日本人の悪いところの最も大きな欠点として指摘されているのも、また我慢をしてしまうところだったりもするからです(=NOと言えない日本人)。社会現象になっている引きこもりなんかの問題も、我慢しちゃう日本人体質が精神的な鬱屈を生むのかもしれません。
一方で、ごくごく最近の話題だと丸明とか魚秀とか、よくわからないことを平然とやっている企業もあるわけで、ああいう経営者の心理状態というのは類推できないというか、何だか自分とは別の次元で全く異質の生き甲斐持って生きているんだろうなあ、と思ったりもします。
なぜ故に20%の我慢がこれから必要になるのかと言うと、それは企業がCorporate Social "Respect"を得ないと生き残っていけなくなるし、それは商業主義的にブランドと言うことだけでは括れず、もっと大きな社会を構成する一母集団として、尊敬を集めるような活動に、全体の20%くらいを割いていかないと、どうやら地球がもたないし、国ももたないし、会社ももたないし、従業員ももたないし、生活者もついてこないという感じがします。
では果たしてそういう活動に採算性を持たせられるかというと、なかなか難しいはずですし、尊敬ということを指標化することもまず不可能なはずです。であるならこれはもう、20%は我慢すると決め込んで、「我慢は美徳」の精神で割り切って動いていかないと、どうにもしようがないように思うのですよね。
言うは易し、行うに難し、ですが、最近ちょこちょこラグビー関係のWEB制作をやっていて、勿論無償なわけですが、そういう役割の中で生まれてくる新しいコミュニケーションとか経験とかネットワークというのはお金には換え難いものがあるように思います。
そういう時に、自己犠牲などと言ってしまうと随分カッコ悪いですから、「我慢は美徳」くらいのつもりで入っていくと、案外いつのまにやら我慢のつもりが、予想外に自分が楽しんでやっているね、という状態になっていったりもするのだと思います。そういうところにこそ実は資本主義社会の成熟への伸び代があるんじゃないかなと考えています。




