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枠と型

枠というのは外圧的、型というのは内在的、というようにここでは捉えています。

先日、友人の取り仕切りで「型」というワークショップが始まりました。元々、「言葉のアイディアと文体スタディ」という名称だったのですが、そういうものを要約した上で、判り易く「型」という名前になりました。友人は写本をやってみようと考えているそうです。僕なんか写本と聞くと、適塾を思い出しますが、文章の韻律を体に刻むという意味で確かに有効かも知れません。かなりストイックな方法だよなあ、とは思うのだけれども。

歌舞伎であったり、能であったり、茶道であったり、香道であったり、日本の文化では「型」というものはとかく重要視されますね。それぞれ流派があって、幾通りの型があったりするのだと思いますが、それは先達の学びのエッセンスを凝縮して身につけるという意味では、Isaac Newtonの「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」に近しいのかも知れません。

林家三平という人は、およそそれまでの落語界の常識を覆した人らしいです。客をいじるとか、演目中に立ち上がるとか、楽器を表に出すとか、古典落語の世界でタブーとされるもろもろを全部破って、落語の「枠」を飛び越えて活躍した人です。同じく破天荒な人で僕は立川談志が好きなのですが、絶妙に話しに現代の世相を織り込んでくる、あの話術は本当に巧みです。その上で、痛快。

ただ、「枠」というのはクリエイティビティの阻害要因かというと、一概にそうとも言えないというか、むしろ通常は大枠において、クリエイティビティの伸張を確保しているものだと思います。制約があるがゆえに、突き詰めるべきクリエイティビティの方向性が絞り込まれて、そうであるがゆえにより練磨され、研ぎ澄まされることがあるのだと思います。

そう言えば、先述の友人の奥さんが戦略コンサルタントでして、チャートやコンセプトモデルやグラフを豊富に盛り込んだ、3分で経営者に意思決定をさせるための1枚企画書、というのがニューメディアというか、これまでになかったクリエイティブなフォーマットなのではないかと仰ってました。そこには、3分で意思決定させるという「枠」があり、1ページで最低限必要なものを最大限伝え尽くすという「型」があるわけですね。

デザインの世界にも「枠」と「型」があるのだと思います。ただ一流になると「型」が「枠」を規定するという逆転現象がしばしば起こっている気もします。深澤直人氏とか佐藤可士和氏が手掛けたものというのは、言われてみればその人の作品だと納得が行くケースがほとんどです。佐藤雅彦氏のCMなんかもそうですね。ある程度、経験を積んで、自分の作風が世間的に認知されている人は、しばしば自分の「型」で、プロジェクトの「枠」をコントロールすることができるようです。

そういう意味では、Bauhausが確立したデザインの概念も、IDEOが築き上げたメソッドも、実は「枠」に対して、それぞれの「型」であると言えるのではないかと思います。

作風や思考法という表層的な部分だけじゃなくて、もう少し悠然と構えた気構えや心構え、立ち居振る舞いのあり方としての「型」、ということをしばし考えてみようと思っています。

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