図鑑考

Posted on | 2009/8/13 23:01:50

引き続き白洲正子さんの『遊鬼』を読んでおりまして、僕も一度訪れたことのある熊野、の近くの龍神温泉というところに訪れた時のエピソードを読んでいましたら、ふと小学生の時にそう言えば『妖怪大図鑑』って読んだぞ、ということを思い出しまして。

ご存じ水木しげる氏の『ゲゲゲの鬼太郎』の現代的に言えば設定資料集のようなもので、1妖怪1ページ、どんな出自でどこに出現してどんな能力を持っているか、みたいなことが書いてあったんだと思います。

続いて『ウルトラ怪獣大図鑑』ってのもあったなということも思い出しました。当然ウルトラマンに登場する怪獣の同じく設定資料集がある程度子供向けに用意されているんですが、こちらはもっとシュールで、確か理科室の解剖人形のように断面図になっていて、レッドキングは脳味噌が小さいとか、そういうトリビア情報が満載だったように思います。

あれって実はまず作品を見てその性質を覚え、それを設定資料集で要素にブレイクダウンしていくわけで、それはキャラクターから設定への逆説的発想の訓練にもなっていたと思います。

とここまで書いて、僕はゲームの攻略本みたいなものをただひたすら読むというのも好きだったなということを思い出しました。『ドラゴンクエスト』とか『ファイナルファンタジー』とか『信長の野望』とか『三国志』とか。ただそれは攻略法を会得するために見ていたのではなくて、やはり設定資料集として読んでいたと記憶しています。

昨年クライアントから芸の肥やしにということで、『鉄コン筋クリート』のアニメ映画の設定資料集をお送りいただきまして、これもやっぱり面白かった。ストーリーに対する設定資料集を見るのは久し振りでしたが、緻密に綿密に計算された背景があって、初めて作品としての映像美に魅せられるのだなと気付きました。

と考えると、成果物を鑑賞した後に、企画書読んで分析しているわけですから、これって立派なビジネス思考の訓練なんじゃないかという考えに至ったのです。「美なんていうのは、狐つきみたいなものだ。空中をふわふわ浮いている夢にすぎない。ただ、楽しいものがあるだけだ。ものが見えないから、美だの美意識などとうわ言を吐いてごまかすので、みんな頭にきちゃってる。」という先日「美について」で引用した青山二郎氏の言と矛盾するようではありますが、さりとて、美に挑む人の系譜をなぞることは重要だと思うし、美的なものに説明を加えようという代物ではないんですね、設定資料集というのは。どう解釈してくれと言っているわけではなくて、作り手が作るためにこれは必要な理解だったんだよということ。

そう言えば、以前テレビで本上まなみさんが「図鑑マニア」ぶりを披露されてまして、何か随分気持ち悪い図鑑を色々「面白い、面白い」と言っていて、まあ本上まなみさんだし可愛いからいいかと思って流していたのですが、そういや小学校時代、図書室の図鑑は全部読みましたし、ああいうのって自分と自然界の関係性を確認させてくれる大事なもののような気がしてきました。

図鑑的な文学作品というのもあるのかも知れない。例えば、柳田国男氏の『遠野物語』とか。今読んでる『遊鬼』だって昭和のいい時代の文化人の図鑑だよなあ。

などと考えると、今頃になって「図鑑って凄かったんだな」と思わされている自分がいて、今更ようやく図鑑にこそありがたみがあったのだ、という何とも歯痒い気づきのような気がします。

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