オプティミズム

Posted on | 2009/9/17 23:12:01

アメリカのCampbell国務次官補の訪日のコメントで、新政府と日米の強固なパートナーシップを築いていくために必要なことの一つにオプティミズムを挙げていて、そういう言い口は嫌いではないなあと思いました。

以前、「国民総批評家社会」という記事で、小林秀雄氏の批評精神を取り上げながら、オプティミズム的なことについても考えましたけど、昔のネットの言説ってともすればペシミズム的なことも多くて、個人的にもあんまり好きではないなあ、知らない人相手だからゆえかなあと思っておったのですが、最近は特にTwitterなぞのコミュニケーションを見ていると大分印象が変わってきたように思います。

それでもやっぱり公人的な人の発言はしばしば炎上を招いてしまったりもするみたいです。今日も民主党の逢坂誠二議員の発言が問題になっていて、日本のTwitter初の炎上か?なんて取り上げられかたをされてましたが。

スゴイ、話のスケールが矮小化しますが、このブログで特にBloggingの項で、やれ書籍だ、商品だ、音楽だ、映画だ、飲食店だ、と取り上げてますが、レビューにもなってないと思うのですよね。ただ、時間的、金銭的に費やしたものがあるわけで、そういう意味でそういうことに対するスタンスは極力オプティミスティックなところにいて、フワフワした気持ちを付記しておくのにとどめることが、自己の経験の肯定に繋がるのか、と思ったりもします。情報量自体も最小限しか書いてないですしね。

辛口批評をするのも大いに結構ですし、たまには何だよそれ、という時もありますが、基本的に褒める努力をすることの方が、否定的に評価するよりも、思考を次に繋げる役割があるように思います。

自分の仕事を考える時もそう。ポジティブシンキングとか、前向きに、とかいうことではなくて、楽観的に、自分の置かれた状況を捌いて行けると、人生随分楽になると思うのです。カヤックさんの『面白法人カヤック会社案内』の最後の方で「自己愛」って言葉が出てきますが、まずもって自分の周辺環境とか体験経験を肯定できないと、なかなか「自己愛」ってところに還元されてこないように思います。

それは何かスパイラルのようなもので、別にスピリチュアルトークをしようとしているわけではないですが、やっぱり人って好きになったり褒めたり肯定したりすることって、日常的にできなくなってくると、どんどんどんどん芋づる式にできなくなっていくと思うのですよね。逆に嫌いになったり貶したり否定したり、というスパイラルに陥ってしまう。

勿論、何でもかんでもというわけにはいきませんが、比率というか、バランスというか、そういうものは自分にとっても他人にとっても好意的に受け入れられるレベルに調整しておいた方がいいように思います。そうじゃないと結局疲れます。

イメージですけど、芸術家が自分の作品を傷つけるような絵面ってあんまり好きじゃないというか。キャンパスをナイフで切りつけたり、窯出しした陶器を地面に叩きつけたりというような。僕アーティストじゃないですけど、作品って多分自分の分身だと思うので、そういうのって自傷行為的なことで、そういう気難しさってクリエイティビティを引き上げるのに時には必要ですけど、日常化すると、やっぱり辛そうだな、という感じはします。

時は死ぬまで際限なく流れていくものですから、だとすれば小さな一段でも次のステップのために積み上げられる一段にしたいもの。そういう風に考えると、オプティミズムを意識しながら動くことって重要な気がします。

放っておいたって、嫌なこと、否定したいこと、避けたいことはでてきますから、意識はできるだけその逆に向けておいた方が、ネガティブな方に自分の針が振れた時にも、より正確にその感情の真贋を確かめられると思うのですよね。

Facebook
Twitter

Twitter Updates

    follow me on Twitter
    Flickr