老化

Posted on | 2010/8/19 11:53:48 | View Comments

老いというのは誰しにも平等である、
というが実際は違うと思う。

老いの怖さはそれまでできることができなくなってしまうことだと思う。
自分で自分を不本意に感じる、そんなイメージだ。

個別の症状で人間はそれを実感する。
髪が抜けたり、関節が痛んだり、病を患ったり。

年齢という意味では老いるというのは数字的なことだけれども、
実際は対処せねばならない具体的なこと、
が出てきた時に老いを実感するんだと思う。

30歳にしたって老いはある。
体力が落ちるとか、腹回りがダブつくとか、酒に弱くなるとか。

対処せねばならない具体的なこと、
が早く発現する人もいるし、あまり表立って出て来ない人もいる。
それで、どちらが幸せかという話じゃないんだけれども、
人間、自分の体や精神に「不本意」を感じ始めると、
老いるという現象が発生したことになるのかななどと。

Tell Me

Posted on | 2010/7/28 23:03:10 | View Comments

いやあ、hideがTell Meなんて今言ったら、
あっという間にTwitterで様々な声が、などと。

ソーシャルメディアは「Push型メディア→Pull型メディア→Tell型メディア」という話を目にしまして、
そんなことを思い浮かべるのは不順なわけなのだけれども、
とどのつまりソーシャルメディアって、
教える教わるという関係性が非常に強い。

伝える伝わるという関係性と、
教える教わるという関係性で何が変わったのと考えると、
「Push / Pull → Tell」というところに辿り着きますから、
ああ、言い得て妙。

ソーシャルメディアの面白みは、
教える伸び代だけじゃなくて、
教わる伸び代に気付けるってところにもある。

大袈裟に言うとその辺りに人類の伸び代を感じる。

原子力潜水艦とインターネット

Posted on | 2010/4/26 23:03:51 | View Comments

巷では龍馬伝旋風。
確かに『竜馬がゆく』は僕も大好きだった。
しかしながら、大学時代にこれは!と思った物語というのは、
実は『沈黙の艦隊』。

物語を読んでいて、
あんなに男心が擽られたのは、
『燃えよ剣』の土方歳三の最後以来。
これは中学の時に読んだ。

僕はハードボイルドは苦手なので、
英雄譚にも美しさと儚さと可憐さを求めるわけです。
『沈黙の艦隊』は美しくて儚くて可憐だったなあ。

アクションで魅せて、思想でも魅せて、
よくできたエンターテインメントなんだけど、
考えることは骨太。

で学生の僕は原子力潜水艦とこれからのインターネットを、
ちょっと重ねあわせて見ていた。
世のピラミッド構造を突き崩す圧倒的に強大で新しい何かという意味で。

10年経ちましたがどうなりましたかね。

仙人

Posted on | 2010/3/19 23:12:40 | View Comments

仙人というのを髭面のおっさんという以上の意味で認知したのは、
漫画『スプリガン』の朧だったか。仙道。
残念ながら亀仙人では無理でして。

今日テレビ眺めてましたら、
仙人然としたお爺さんがネパールで循環型農業を現地の人と実践している、
そんなのやってました。
高地で稲作して、りんご植えて、鶏やらヤギやら育てて。
馬に乗って現地の人と「ナマステー、ナマステー」言ってて。
あれ現地の人からしたら仙人だよ、絶対。

そういや、東京郊外で育った先輩が、
山で遊んでいたら仙人然のお爺さんに怒鳴られた、
今にして思えばあれはきっと白洲次郎だった、
なんて言ってましたが、
なんか浮世離れしててカッコいい。
現人神とは言わないけれど畏怖の対象になる老人ってスゴイ。

そうそう今日は畏怖の科学が必要だみたいなことを考えまして。
原子のアニミズムに始まって、
人類は畏怖に育てられてきたって気もするんですよね。
そう考えると経済というものへの畏怖に育てられるって、
全然健全じゃないと思うんだけど、
結構世の中そうなっちゃったのかなという気もしていたりして。

本質

Posted on | 2010/3/19 22:50:13 | View Comments

本質を見極めるみたいな言葉がありますが。
真価を見定めるみたいな言葉がありますが。

それって結構ナンセンスなことだと思っていて、
それこそ「本質的」には、
自分にとっていかに有意義な解釈をするかってことでしかない。
有意義とか言うとまた意味が拡散しちゃうけど、
平たく言うと都合の良いという。

ミシュランの三ツ星もらっちゃうような寿司屋が寿司の本質であり真価である一方で、
24時間営業握り寿司一皿105円で常時行列が絶えないということも寿司の本質であり真価である。
元々ファーストフードなんですから。

だから大事なのは尺度だと。
どういう物差しなのかと。

人間所詮、定義できることなんて自分のことだけなので、
自分で定義した物差しでどれだけ他者を正確に測れるのかという話だと思うのですよね。
で、実はこれが結構難しいのだけれど。

ただ、理解する、推量することは、
自分の物差しを注意深く丁寧に確実に定義してあげる、
このことから始めないと色々色々ぶれちゃうのだと思うわけで。
まずそこから始めないとどうにもこうにも。

ハイブランド

Posted on | 2010/3/19 22:36:31 | View Comments

ハイブランドというのも大変だそうである。
ステータスシンボルとしての役目を終えたというか。
別にステータスシンボルというのは後付な役割なんだろうけど、
ステータスをシンボライズする必要がない時代になったというか。

相変わらずファッション的なことは嫌いじゃないんですが、
モノとして良く出来ているかというのは大事だと思う。
で、ブランドで安心を買うみたいな感覚は、
全くと言っていいほど無くなった。
ブランドへの憧れ、みたいなものがない。

なんだおまえブランディングの仕事をしているじゃないか。
いやいや、ブランドイメージ主導の時代が終わった気がするのだ。
クリエイティブのマネージメント中枢として、
ブランディングということは今後も必要になってくると思う。
ただユーザとして品評するのは、
ブランドイメージという莫たる後付けの何かではない。

パタゴニアを好きになった理由:
お世話になっている先輩が毎日のように着ていて、なんでそんなに好きなのか知りたくなった。

GAPを好きになった理由:
家から近くてサイズがあって、昔から着てるから。

Canonを好きになった理由:
プリンタ、スキャナ、カメラと増やしていって、どれにも大きな不満が出てこなかったから。

とか、雑誌やTVやラジオがそんなに影響力を持たなくなったって時代にあって、
ユーザに働きかけるものって「ぐるりのこと」だと思うんですよ。

じゃあ、その「ぐるりのこと」にどうやって広告投下しようかって議論は不毛で、
どうするのっていうと、良いものをより良く使ってもらうしかないんだと思うんですよね。

そんなことを考えてブランディングの仕事をしております。

New Balance

Posted on | 2010/3/19 22:16:10 | View Comments

ちょっとNew BalanceについてTwitterで話が出たので書いてみる。
大学の途中からNew Balanceが好きになった。
気がつけば576ばかり履いている。

「お、New Balanceじゃないですか」、
というと大抵「履きやいですよね」という意見が返って来る。
ともすれば、「上品で履きやすいですよね」なんて、
日常靴には似つかわしくない形容までついて返って来る。

水色のやらトリコロールやら茶やら黄やら赤やら履いた。
1300も1500も1700も2001も試し履きしたことすらない。
何と言うか数字にやられている。
何かそれは、576という数字の並びこそが正義だというような。

とまあ、10年くらい576履いて来たのだが、
ここ1年、670UKという奴に浮気した。
しかしまあ、こいつがとびきり上品なのである。
これが676だとつまらない気がするが、
670だといけるんじゃないかと思ったのは、
もうなんか、フェチズムですか。

世間的には1300が復刻されるのが話題なのだけど、
(と言ってもNew Balanceマニアの間だけだけど)、
とりあえず、風呂場で670UKを磨いてやった。
もう一足予備でも買っておいていいくらい好きなんだけど、
まあ、履きつぶした頃には次の浮気相手が見つかるかも知れないですからね。

就職率

Posted on | 2010/2/19 13:23:59 | View Comments

なんとか率というのは、
大抵統計の仕組みが実に怪しい。
怪しさから言ったら、なんとか力に等しい。

数値として明示されているわけだが、
その根拠が結構グラグラだったりして、
砂上の楼閣だったりする。

ニートって日本で使われる言葉ですが、
お隣韓国ではイテベクって同じ問題があるみたいだし、
世界に目を向ければ失業大国はたくさんある。

大卒73.1%とという数字が出ているけれども。
僕の聞いている話だけだともっと低いという印象。
しかもこれは瞬間最大風速ではないという印象。

こんなことを言うのは藪から棒ですが、
僕は就職率が低くても成立する社会のデザイン、
って言うのが本腰入れて必要だと思う。

後、大半の人の人生が就職で決まる、
みたいな幻想もぶっ壊してしまわないといけないと思う。

就職で人生が決まる人もいるのかも知れないが、
それは全体から見たらほんの一握りのことであって。

それでも学生さんに、
就職するかどうかのそもそも論を問答させるのは、
なかなか厳しい。

僕は今までの仕事を続けるか就職するのか、
ということを考える機会がたまたまあったけれども、
それは全体から見たらほんの一握りのことであって。

選ばれし者しか仕事ができない、
というのは健全ではない。
けれども選んだ仕事しかしたくない、
というのも実は健全ではない。

こないだこんな問答があった。
「どんな仕事をしたいのか?」
「誰かのために役に立つ仕事をしたい」
「そもそも誰かの役に立たないことを仕事とは言わないよ」

その辺をガラガラガラガラしないといかんと思う。

時代の正義

Posted on | 2010/1/17 11:33:09 | View Comments

昨晩酔っ払った帰りの電車で、
大学来の親友と社会起業家について話していた。
基本的なスタンスは僕がProで彼がConか。

まあ当事者じゃないので、
あれなんだけれども、
思えばITやネットも昔、
虚業とか言われていたわけで、
ちょっと上の人達は胡散臭いと言ってたわけで、
社会起業家というそのものの意義の正当性や妥当性はよくわからんけれども、
チャレンジャーにとっての時代の正義が今そういうところにあるのなら、
一世代前から批判を受けるのは、
ある種、予定調和というか自然の摂理だと思う。

個人的な感触としてはそういうものが、
淘汰されて駆逐されてこなれてくるには10年くらいかかるんじゃないかと。
まだそういう「ふるい」のシステムがないですからね。

今の若い世代に取っては社会起業家というのは、
「時代の正義」という「環境」なので、
そこからどういう「実」が残るのかは、
中長期的なスパンで見ないとわからんと思う。

ただね、親友曰く、「投資家はそんなに待っちゃくれない」、
というわけなんだけれども、
「六本木ヒルズ的なもの」を若い世代に見せてしまった、
責任というのも僕らやちょっと上の世代にはあるわけで、
それは時代の正義の変容の大きな原因の一つ、
という認識は必要だと思う。

その上で応援するかしないかというのは、
正しいか間違っているか、で語らなくても、
好きか嫌いかでいいんじゃないか。
もういいおっさんなんだし。

人生、なるようにしかならない、という話

Posted on | 2010/1/8 11:42:53 | View Comments

昨日、夜中に後輩と電話していて、
僕が「人生、なるようにしかならない」と言ったことに、
彼は大きな違和感を覚えたそうな。

完全に僕の説明不足なのだが、
とは言え「やればできる!夢は叶う!」みたいなことは、
何かなかなか捻り出せないフレーズであるというか。

「人生、なるようにしかならない」と思っている。
人生にはあまりにも不確定要素が多過ぎる。

であるからして、大事なのは、
「人生、なるようにしかならない」と思っておいて、
臨機応変に、いかに柔軟にその時々に相応しい対応ができるか、
ということだと思う。

「やればできる!夢は叶う!」と言われた時と、
「人生、なるようにしかならない」と言われた時で、
そこに注ぐ努力や情熱が変わってくるようでは駄目なわけで、
むしろそれは大前提にした上で、
「人生、なるようにしかならない」が故に、
「人生、なんとかする」という思い込みと覚悟が必要なのである。

なんとかするのである。

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