「楽しい」のパッケージ

Posted on | 2009/11/29 22:23:38 | View Comments

先日、友人の家に遊びに行きました折に、大の大人が朝までWiiでグラディウスやらスーパーマリオブラザーズに熱中しているのが印象的でした。面白いもので、隠しコマンドとか、1UPキノコの場所とか、幼い頃はまったゲームの記憶は、時を経ても色褪せないのですね。多分、なにかそれは経験的な記憶というやつで、「そう言えば、そうだったな」的に操作をしながら、記憶の糸を手繰り寄せているのでしょう。

その日の昼に、映画を観終わって後輩と昼食を取っておりましたら、ゲームビジネスの話になりました。話していた流れでふと浮かんだのですが、ゲームって「楽しい」をパッケージ化したものですよね。「楽しい」ってこと自体は「モノ」ではないですが、ゲームというパッケージになることで、それを流通させ販売し、ビジネスとして成立させることができる。エンターテインメントの世界で考えると、メディアというのはパッケージ化された楽しさ、ということができるのかも知れません。

考えてみれば映画もそう、テレビやラジオの番組もそう、雑誌も書籍もCDも、言わば「パッケージ化された楽しさ」だから生産と消費の文脈の中におさまるんですね。で、何が言いたいかと言いますと、最近メディアビジネスというようなものが機能しなくなってきたぞぞぞ、ということは、「楽しさがパッケージ化し辛くなってきた」からなのではないかと。

パッケージ化されているから、そこには販売や広告枠と言ったビジネススキームが成立し得ていたわけだけれども、楽しさって本来、箱的なものに必ずしもおさまっている必要はないわけで、マクルーハンを持ち出さずとも、そもそもが活版印刷に始まってメディアはコンテンツを流通させる形態だったわけですけれども、今特にインターネットの世界で行われていることは、「メディアミックス」というような複数のメディアのタイアップなどという生易しいことではなく、もうそれは「メディアがぐちゃぐちゃ」ってことではないでしょうか。「クロスメディア」とか言われるより、一層のこと「メディアがぐちゃぐちゃ」って言ってしまった方が、現実との乖離が少ないというか。

以前、ソーシャルメディア系のセミナーに行った時に、「ソーシャルメディアは、それぞれのソーシャルメディア単体で考えても意味がない」というような話を聞いてなるほどなと思いました。その辺りの話は、「ソーシャルメディアマーケティング」でも書いています。例えばTwitter単体でプロモーションを設計しても、そんなに取り得る選択肢は多くないと思うのですけれども、「Twitterを絡めた」という視座で他のありとあらゆるものとの組み合わせを考えていけば、その可能性は無限大でしょう。

で、そういうソーシャルメディア的なもの、なんかを考えていると、それはもう「パッケージとしての価値」でユーザもデベロッパもその「楽しさ」を評価してないだろうなと思うわけです。もっと雲を手でつかむような、漠然とした楽しそうなエコシステム、みたいなものをその周囲に見ている。だから、「パッケージとしての価値」をいかに高めるかという視座で作りこまれてきたメディアビジネスの世界が瓦解し始めているのではないかと。

ですから、「もの作りからサービスへ」みたいなことも一つのパラダイムシフトの考え方としてありなのかも知れないですけど、逆説的ではありますが、「脱パッケージのもの作り」という考え方も、これからの指針の一つになり得るんじゃないかと感じます。

僕なりのアテンション・コントロール -> ET withwith

Posted on | 2009/10/23 22:27:21 | View Comments

最近、CakePHPで作った自分用のET withwithという業務管理WEBアプリを時間があれば弄り回しておるのですが、プログラム改編だけではなくて、しっかり運用しております。これがすこぶる有効だと最近つくづく感じています。

以前、佐々木俊尚氏の『仕事するのにオフィスはいらない』という「ノマド」的なことを書いた本を読んだ時に、アテンション・コントロールについて書いてあってぎくりと来ました。僕、あんまりストイックにアテンション・コントロールとかできてないなあと感じました。

大原則として仕事が大好きなので、たまあに後輩に言われるように「ダラダラしませんか?」ということはあんまりないつもりで、逆に集中していると周囲からすると気持ち悪いくらいだと思うのですが(しかも幸いなことに周囲には基本誰もいない)、僕の場合、その場対応主義なので、どうしてもセルフ・マネージメントをルール立ってできているとは思えないのですよね。

元々、PDA使いだったので、ToDo管理とかをしていた時期もあるのですが、先ほど書いたように基本的に仕事は溜めない主義で、来たらやっちゃうので、漏れがなくなるのは勿論そうなのですが、そのレベルだと紙でやった方が効率良かったりするのですよね。机の上のPost-itと持ち歩いているツバメノートで十分。仕事に優先度とか重要度とかつけて、仕分けするようなことも、あんまりしないですし。

ただ、佐々木氏の本読んでから、そういうアテンション・コントロール的なこと、何か自分に課していかないと、長く続けるのに「疎」が出てしまうのかなと考えまして、でもそれは自分のタスク管理的なことより、人とのインタラクション的なことを管理した方が良さそうだ、ということを朧げながらに思っていました。

プライベートはメールやらTwitterやらTumblrやらブログやら、最近だとEvernoteやらあるので、何となく至るところにログが偏在している感じなのですが、仕事メインで考えると、そういうワークログ的なことができてないなと。しかもそれって偏在させるより、一カ所に集中管理しないと、いつか人に僕の仕事を手伝ってもらうようになった時にもよろしくないな、などと考えました。

で、最初に目をつけたのが、Zoho Creatorというサービス。でもちょっと費用対効果と自由度と用法を考えると、そもそもがグループウェアなので、どうしても僕の業務にフィットさせようとすると齟齬が出る、という時に、以前、後輩が「これなら加藤さんでも始めやすいと思いますよ」と薦めてくれた、PHP高速開発フレームワークの「CakePHP」を思いだしたのです。

ET withwithは基本的に、「誰と」というアクションのみを記録します。「誰と」というのは、僕の場合、個人、法人、それから、ラグビーの団体(チーム、リーグ)などが対象になります。例外的なのがETそれ自体で、ETの業務は僕個人の業務なわけですが、これはETという人格=ブランドに対する業務と考えて、他の対象同様、ET withwithに記載しています。

誰々にメールした、とか誰々に電話した、とかだとわざわざ記録に残す必要もないですが、例えばメール数通やり取りした中での重要な決定事項であるとか、電話で話している中で、僕が先方に口頭で提案して好評を得たもの、などは記載しています。議事録的なボリュームを残そうとすると大変ですから、あくまでもサマリー程度、もしくは、エッセンシャルなポイントだけを記録しています。

アプリとしては基本的にはデータベースにデータ突っ込んで、必要なデータ引っ張り出してくるだけの、極めてベーシックなアプリです。

ただ、ET withwiithでは検索の条件指定の充実を重要視しました。単純に項目で絞り込むだけでなく、例えば「10月第1週内の○○とのwithwith一覧」とか、「○○と××と△△を含むwithwith一覧」とか、今は僕一人でやっているので必要ないのですが、「10月1日~10月15日までに××が○○と一緒にしたwithwith一覧」というような抽出の仕方もできます。この辺りが、紙ではなくデータベースを使う意義だと思います。

こうすることで、次取るべきアクションは何かとか、このクライアントに対してはどのくらいの頻度でアクションができているかとか、このクライアントに提供したことをこちらのクライアントに提案できないかとか、タスク管理をするより、よっぽど僕の業務に取って有益な情報を有効に活用できることに気付いたのです(むしろ、タスク管理っていうのは次のフェイズですよね)。

もっと単純なところだと「今週ロクな仕事してないぞ」とか、「このクライアントへちょっとサービスサボっているんじゃないの?」、とかも見えてくるはず。

僕の仕事は基本的にタスクが降ってくるというより、随時、状況に合わせてタスクを発生させていく仕事なので、そういうタスクを発生させるためのイマジネーションの材料が手元にあることが、今後の使いようによっては、大事な武器になってくるのではないかと思っています。

とは言え、まだできたばかりで、改善の、これで少し僕なりの「ノマド」へのアプローチの言い訳などもできたのかなあと(本余地も多々あるのだろうし、大体以ってここ数日は毎日のように改編し続けているのですが来的にはそんなのいらないんですけどね)。

楽しいと思っているうちに、それなりのところまで作って、後はしっかり運用しつつ、業務に活かしていこうと考えています。

Service As A Platform – コンテンツとネットの未来について

Posted on | 2009/8/4 20:25:57 | View Comments

最近、プラットフォーム、プラットフォーム、と酔っ払うと連呼しています。別に駅で誰かと闘ったりしているわけではなくてですね、最近のスマッシュヒットの構造というものを考えると、Service As A Platformってなことになっているんではないかと思うのですね。

WiiもiTunesもAmazonもプロダクトを縛りとして、コンテンツとお金を流通させるプラットフォーム企業になっているから、強いんだと思うのです。ハード単体の売上、ということより、それをプラットフォームとしてPlayerとUserの間でコンテンツとお金の商取引が為されるという。任天堂、Apple、AmazonはそれらのFacilitatorとしての役割を抑えているから強いのだと。

昨晩、たまたま映画、音楽、ネット、ゲームの業界で働く後輩たちとプラス僕で集まって酒を飲みまして、そのうちの一人の修士論文のためのアイデア出しってのが本来の目的だったのですが、「コンテンツとネットの未来について」というような、かなり幅広な話になりまして。

色々話した中で、僕は「Twitterも最早サービスって言うかプラットフォームだ」って言ってたのですが、なんか違うなと言いながら思ったのですね。それまでに言ってたプラットフォームの話と違うぞと。というわけでちょっと整理した図がこちらです(クリックすると拡大されます)。

Service As A Platform

基本的にWiiもiTunesもKindleも、コンテンツとお金のやり取りがそのプラットフォーム上で発生しているんですが、Twitterの場合で考えると、構造的に情報が流通しているだけなんですね。ユーザの作った情報を、WEBサービス企業が編集し、今度はユーザがその情報を使ってまた情報を作ってのスパイラル。

実はその日の昼間に書いた「勝間和代さんのTwitterへの論考を取り上げてみる」という記事にヒントがありました。ビジネスモデルと言うならば、このスパイラルの中でUserとPlayerの金銭的やり取りがないと、せっかくプラットフォームに成り得たのに、PVベースの広告収入、という話になってしまうのだと思うのです。

今のインターネット、「情報は無料」がある種の不文律で、「インターネットで大事なのはコンテンツ」ってのは昔から言われてきたことですが、「インターネットで大事なのはお金のやり取りをする価値のあるコンテンツ」ということになるのやも知れません。

ただ、それは偉い人が書いたからとか、言ったから、とかいうことではなく、むしろ、その情報のパッケージのされ方にあるように思います。「編集」と言ってもいいかも知れない。情報をコンテンツにする「編集」がなされたものがプラットフォームに乗ることによって、情報がグルグル回っているだけではない、収益性のあるビジネスへの道筋がつくのかも知れない。

もしくは情報を流通させるだけのプラットフォームでは、いつになっても収益性は確保できないということかも知れない。

Twitterってとんでもなく素晴らしいサービスだと思っていて、今後まだまだ可能性を大いに期待するべきサービスなんですが、Service As A Platformという視点で見た時に、「流通するもの」にもっと意味が付与されないといかんのかな、と分析してみました。ちと学生のレポートみたいになってしまいましたが。

勝間和代さんのTwitterへの論考を取り上げてみる

Posted on | 2009/8/3 10:26:54 | View Comments

「Twitter」が日本でブレークするための条件 勝間和代

ああついにお書きなさったって感じですね。僕がTwitter使い始めたのは結構前だと思いますが、延べ8,000回ほど呟いているようです。

繰り返しになるが、Twitter単体のビジネスモデルは厳しく、採算はとりにくいだろう。しかし、Twitterの創業者は、もともとGoogleにブログサービスの「blogger」を売却したメンバーであるから、ある程度アクセスが集まったら、あとの収益化はGoogleのようにネット広告ビジネスをインフラ化した事業者にお任せというモデルになる確率が高いと私は考える。

個人的にはTwitterってプラットフォームなので、単体のビジネスモデルって考えても、あんまり意味ないんじゃないかなあと思います。むしろTwitterとその周辺(=エコシステム)として語られる、その「その周辺」からtoBでみかじめ料を取るみたいな仕組みにならないと。Wiiみたいにゲーム機単体で売上を立てるみたいなことは難しいんでしょうからね。企業がAPI使う時はトラフィックに応じて課金するみたいにすればいいのか、どうなのか。

まあ海外のニュースを見ていると、Twitterは本当に公共性の高いプラットフォームになったようなので、うまく存続して欲しいですね。

追記:
とは言え、予め値段がついてるものが流通しているプラットフォームではない、という辺りが難しいですよね。

忘年会

Posted on | 2007/12/31 3:39:21 | View Comments

持ち寄り一品でお腹を膨らました後、これでもかと鍋鍋鍋。Rugby 08なるラグビーゲームをやり自分は本当に展開のセンスがないことを痛感し、Wiiのドラゴンボールでカメハメ波を出すのに盛り上がり、最後は昔懐かしいグラディウスやらスーパーマリオブラザーズで終了。酒もたくさん飲みました。

帰り友人に家まで乗せてもらって帰ってきましてもう4時近いですね。帰り道、「もう一皮むければ」という話をもらい、何かこう来年はこれまでの延長線上での成長を描いていたけれども、友人が示唆してたのはどちらかというと変質みたいなことだと思うのですよね。年末を越す時に考えるトピックには成り得るなあとか思ったり。

しかし、大学のチームメイトというのは楽です、色々な意味で、本当に。

Nokiaのエコ携帯

Posted on | 2007/12/26 17:02:08 | View Comments

Nokia – Eco Sensor Concept

まだコンセプトですが、NokiaがEco Sensorという言わば「エコ携帯」を発表したようです。こういうのが海外のメーカーが先に発表するってのは何だか寂しい感じもしますが、内容的にはわかりやすくて、携帯が環境へのセンサーになるということのようで、大気成分モニターやら紫外線センサーやら環境に関連する災害の警報システムやらが搭載されるのだと。

エコはライフスタイル自体を変えないといけないと考えますと、iPodが音楽生活を変えたように、Wiiがゲーム生活を変えたように、こういう製品がプロダクトドリブンで環境生活を変える可能性はありますね。何かビジュアル的にお洒落ですし。色々なセンサーやモニターが装備されてるのもアーミーナイフみたいで物欲をそそられますし。ユーザがそういうものと連携する「環境アプリ」みたいなものを開発できたら、それって結構楽しい世界のようにも思います。

エコ携帯、出したら絶対流行ると思うんですけどね。

「使いたい」というイメージができなくなってきたSony

Posted on | 2007/9/10 19:10:45 | View Comments

僕が年を取ってきたからかも知れませんが、ちょっと前までは物欲大魔王で、「欲しい」と思うものを買ってました。けれどここ数年はシフトウエイトしまして「使いたい」と思うものを買うようになって来ました。そうなってきた過程で、Sonyというブランドの製品群が選択肢からごっそり消えたなあという印象があります。

Sonyの牙城を切り崩したのがAppleや任天堂だったりするわけですが、「自分がそれを使っている姿を想像してウキウキする」感覚がiPodやWiiにはありますが、新しく発表されたRollyにもそういう感覚はない。ライフスタイル提案型の商品はWalkmanから綿々と続く得意の流れだったはずですが、iPodやWiiの方が「近未来を描く力」に秀でてるように感じます。

ちょっとSonyは近未来を描く力(言い換えれば現実性に対する想像力)が欠如してきてるんじゃないかなあと思ったりしています。

『ウェブ仮想社会「セカンドライフ」 ネットビジネスの新大陸』 浅枝大志

Posted on | 2007/5/26 21:46:02 | View Comments

ウェブ仮想社会「セカンドライフ」 ネットビジネスの新大陸
浅枝 大志
アスキー (2007/04/10)
売り上げランキング: 481
おすすめ度の平均: 4.0

4 これから始まる物語
3 新しい世界の(過剰?)広告
5 まず読んで、理解できるか自分をチェック。

以前、セカンドライフに馴染めなかった時代遅れな自分をご報告しましたが、その後も気にはなっておりまして、本を読んでみました。かなり前半拒否反応が出ましたが、知らないことも書いてあって、良かったと思います。「いち早く参入した企業が、どこよりも早くノウハウを蓄積する」という項がありましたが、実はこのことが一番重要で、著者自身も企業のセカンドライフ進出を助ける立場にありますから、煽ってるんでしょうね。

このときセカンドライフは国内で爆発的に普及し、インターネットの登場・普及、携帯電話の登場・普及に次ぐ、第3の情報革命になる可能性があります。
ref. p23

“土地”を提供する以外はユーザー任せにしてしまったリンデン・ラボ社のスタイルは、すべてがWeb 2.0の世界、つまりユーザーが動かなければ何も始まらない場所を生み出したのです。
ref. p54

その意味で、2007年3月中旬に参入を果たしたダイムラー・クライスラーが提示するセカンドライフでのベンツの金額は、試金石と言えるかも知れません。同社が純粋に自社ブランドに対して価格を設定したことになりますから、大変興味深い試みです。
ref. p70

リンデン・ラボ社は「ユーザーの持ち物の権利はユーザに帰属する」という立場を明示しており、ユーザの所有物に対して何らかの権利を主張することはありません。
ref. p79

いち早く参入した企業が、どこよりも早くノウハウを蓄積する
ref. p116

リンデン・ラボ社がこのような社会を作ったのは、「よりよい世界を作るため」と言われています。その理念は”To make a better place”。多くの人が、より長くいたいと思うような空間を提供するのが、自分たちの使命だと考えているのです。
ref. p144

私は近い将来、ブラウザと同様にセカンドライフ(または似たようなバーチャル空間)がWiiで起動されるようになると見ています。
ref. p164

合理性と物語性

Posted on | 2007/2/2 23:34:43 | View Comments

『国家の品格』で藤原正彦氏が「論理」と「情緒」を対比していることが印象的でした。両方大事と言えば当たり前の話なのですけど、論理の中に情緒があり、情緒の中にも論理があり、対極にあるようで、なかなか切り分けられないもののように思います。ましてや、そこに時代観なぞを織り交ぜてしまうと(論理の「資本主義」と情緒の「武士道」みたいな)、やたら話が複雑化してしまうようにも思います。

最近スゴイ発明だなと感じたのは、任天堂のWiiのコントローラーです。インターフェイスの世界では、よくユーザビリティなんてことが語られて、しばしばユーザが画面をコントロールするのに「最適化された」コントローラがゲームの世界では利用されてきたわけです。僕はゲームウォッチで初めて触りましたが、十字キーとABボタンという組み合わせ。どこのメーカーのゲームマシンもこれまではそれをベースに推し進めてきたわけです。

しかし、より多くの機能と利便性を追求した結果、コントローラというデバイスは何だかボタンの塊みたいなものフジツボだかサザエだかわかりませんが、何だか得体の知れない刺々しいものに変容してしまいました。「楽しい玩具」に見えない姿形になりましたね。

そこをブレークスルーしたのが今回のWiiのリモコンだったわけです。実際体験しましたが、人間のアクションが自在にゲーム上のアクションに結びつく感覚。あれは非常に独創的でクリエイティブな体験です。ソフトを用意し、それをコントローラで制御する、というプログラマーの発想では、なかなかああいうものは生まれないと思います。合理的なだけでは駄目です。

一方でiPhoneがAppleから発表されました。日本での導入はまだ先のことになろうかと思いますが、アップルはマウスに始まって、インターフェイスの作り込みが上手な会社です。最近ではiPodのクリックホイールが「押す」「引く」「回す」「抓る」ではなく、「さする」という新しいアクションで、何千曲の楽曲をストレージし自由自在に聴くためのデバイスであるiPodに、一覧性の高いナビゲーションを用意しており、これはとても新鮮でした。

そのAppleが投入したのがiPhoneで目玉は全面液晶である、ということだと思います。確かに、「タッチパネル」という発明が「表示」と「操作」の垣根を取り払ってくれましたから、iPhoneのように全面液晶化してしまうことは、その拡張性という意味においても汎用性という意味においても自由度が高いのかなと思います。携帯電話はただでさえボタン多いですし。

ただそれでいいのかAppleという部分もあります。クリックホイールの新しさはこれまで使われてなかった種類の「触覚」に働きかけるインターフェイスであったことがあると思います。ましてや電話をかけるというアクションは、ダイヤル式プッシュ式と時代の変遷で形態は変わっているものの「触覚」と強く結び付いているという特徴があります。

ボタンを押すと「カチッ」とか「ポチッ」とか反動が返って来る感触が感じられるというのは、掛け間違えなどしたくない、電話という意外と神経質なツールにおいては、重要な機械からの「レスポンス」であるように思います。そういった触覚を補って、全面液晶というスタイルでAppleがこれまで以上の意味性をiPhoneという商品に、そのインターフェイスに与えることができるかどうかということは、非常に興味深い部分です。

タイトルに「合理性」と「物語性」という対比を掲げました。これは何かというと、いずれも他者を「納得させる」もしくは「説得する」ために必要なものです。合理的なだけのものでは遊びがなくて聞いてて飽きますし、話題によっては嫌気がさすこともあるやもしれません。一方で物語的なだけでは楽しくても腑に落ちない部分がでてきましょうし、大風呂敷を広げているだけのように聞こえるかも知れません。

どちらかが欠けてどちらかが満ちて、それでいいというものではないのです。その上で合理的であるということは研磨され洗練されていなくてはいけませんし、物語的であるということは豊饒で含蓄がなくてはなりません。WiiのリモコンやiPodのクリックホイールはそういう意味でどちらも備わっている製品という成果物の好例だと思うのですよね。

とは言え、両方を考えながら話を進めるというのは難しいものです。ただどちらか片方に引っ張ってもらえば、もう片方は自ずと後から付いてくる、ということは往々にしてあるものです。合理性を突き詰めて製作されたアーミーナイフに色々な冒険家の冒険譚がついて物語性が補われたり、物語性を突き詰めてオープンしたテーマパークでその世界観を守るために自ずと合理的な運用ルールが生まれたり。ただ、片方だけに「突っ走り過ぎてるかな」という疑問的な感覚はどこか心の片隅にあった方がいい気がします。

合理性と物語性で描いてみる「話」の価値というのは、「モノ」にも「ヒト」にも「カネ」にも「コト」にも、そして勿論「ブランド」にとっても大事な着眼点だと思うのですよね。

追記:
Tech Mom from Silicon Valley – タッチスクリーン原始時代回想録とiPhone
元ヘビーPDAユーザとして(今は手書きの手帳ですが)、うなずくことしきりでした。

Wiiスゴイ

Posted on | 2006/12/31 12:25:56 | View Comments

友人宅で話題のWiiを触ってきました。Wii Sportsとゼルダを少々やったのですが、非常に良いですね。一応僕らの世代はゲーム世代になると思うのですが、今までに味わったことのない楽しさでした。特にボーリングで手首をくくっと返すと、しっかりボールが曲がってくれる感じとか、シンプルですがとても楽しい。ゼルダもコントローラのユニークさを十分に発揮していました。

やはり次世代ゲーム機はWiiがスゴイと思うのです。これなら、ゲームに親しみがない人、例えば自分の両親とだって、遊べてしまうというくらいの単純性があります。

あの楽しさはやってみないとわかりません。ちょっと欲しくなってしまいました。

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